年中行事予定

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お寺の新しい在り方について

お寺とは本来、現代のように法事や葬儀のみを中心に執り行うという場所だけではありませんでした。
「寺小屋」「駆け込み寺」という言葉が残るように、子供たちが集い、読み書きの勉強をしたり、境内で遊んだりと、いわば現在の学校でもあり、悩み事や揉め事があれば相談したり、その他にも現代における病院や介護施設、薬局、役所などの役割を担いつつ、人々の生活文化に溶け込み、生活になくてはならない場所でもありました。

当寺では、本来の「お寺の在り方」を見つめ直し、皆様と共に出偶い、共に歩んでいける寺院を目標に、年間を通じて様々な行事や催事を行っています。

是非どなた様も、お気軽にご参加ください。

光蓮寺 年中行事

修正会(お年始参り) しゅしょうえ 元旦

彼岸会(お彼岸) ひがんえ 春・秋


潅仏会(花まつり) /子ども大会 かんぶつえ 春


永代経法要/孟蘭盆会(お盆)えいたいきょうほうよう / うらぼんえ 夏


報恩講 /ほうおんこう 秋


初参式(乳幼児の初参り) しょさんしき ※希望者のみ


帰敬式(生前法名授与式) ききょうしき ※希望者のみ


毎月二十八日 定例法話会 

地域の皆様に楽しんでいただける行事を開催しています。
仏式行事以外にも、こども食堂・ママのためのヨガ・音楽会・講演会・写経など、年数会行事をおこなってまいります

239  いまさらながら、南無阿弥陀仏とは不思議な言葉だ。阿弥陀が凡夫を救うという願いが名号の言葉の行為によって、アミダの願いと凡夫の幸せという救済が一つの言葉に実現して一人の人間を救う縁として聞名されることによって完全に実現しているのだ。

    アーメンもアッラーもそうかもしれないが、これほど完全無欠な真理の実現の自然な道理は人間にとって、ほかにはあるまいと思う。

 

240  法蔵菩薩の第20の本願「果遂の誓い」自力意識を離れられない私をいつまでも真実の念仏世界に帰らせる力に任せよということだが。これは、阿弥陀様の私に対する強烈で美しくもある純粋執着である。無我の世界に帰るしかない私を、自我意識にとどまろうとする私を切り離し、真実の自由な世界に帰らせようとする吸引力の表現である。

 

241  仏の計らいによって

    己(おのれ)から

    自らに

    ここに在ることを

    真実のアミダ仏の自由意思によるものを

本当の自己という

 

242  身も心もサイフも軽く

    それができない私

 

243  これだけ愚痴を言い、

    人を批判し続ける私を

    いつまでもあきらめない  

    阿弥陀様は可哀そう

 

244  世の中に踊らされて70年

    この先も同じことだと知らされた

    そんな踊らす世の中から

    踊らされない世界を見つけることができるのだから

    踊らす世界と私のウソッパチもまんざらじゃない

    ナンマンダブツナンマンダ

    

245  希望を打ち砕く最善の方法は

小さな希望を抱かせることだ

 

246  便利だと高くつく

    不便だと安い

    ホント?

 

247  阿弥陀様は行動する仏教のはしりだ。

 

248  人生は遠足だ。罪業のリュックを背負って、魂の故郷へ帰る一里塚だ

 

249  お金で買えない自由が本当の自由だと気が付くまではお金が必要だ。

 

250  自由とヒマとは違う。本当の自由とは、子供が何もないところでも喜んで遊んでいるように、どこでも生きてゆける人になることだ。

暇とは、世の中に踊らされて真の自由を求めるキッカケだ。 

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