年中行事予定

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お寺の新しい在り方について

お寺とは本来、現代のように法事や葬儀のみを中心に執り行うという場所だけではありませんでした。
「寺小屋」「駆け込み寺」という言葉が残るように、子供たちが集い、読み書きの勉強をしたり、境内で遊んだりと、いわば現在の学校でもあり、悩み事や揉め事があれば相談したり、その他にも現代における病院や介護施設、薬局、役所などの役割を担いつつ、人々の生活文化に溶け込み、生活になくてはならない場所でもありました。

当寺では、本来の「お寺の在り方」を見つめ直し、皆様と共に出偶い、共に歩んでいける寺院を目標に、年間を通じて様々な行事や催事を行っています。

是非どなた様も、お気軽にご参加ください。

光蓮寺 年中行事

修正会(お年始参り) しゅしょうえ 元旦

彼岸会(お彼岸) ひがんえ 春・秋


潅仏会(花まつり) /子ども大会 かんぶつえ 春


永代経法要/孟蘭盆会(お盆)えいたいきょうほうよう / うらぼんえ 夏


報恩講 /ほうおんこう 秋


初参式(乳幼児の初参り) しょさんしき ※希望者のみ


帰敬式(生前法名授与式) ききょうしき ※希望者のみ


毎月二十八日 定例法話会 

地域の皆様に楽しんでいただける行事を開催しています。
仏式行事以外にも、こども食堂・ママのためのヨガ・音楽会・講演会・写経など、年数会行事をおこなってまいります

225  エゴイズムとは自分の欲のために利益を独占することしか考えられなくなってしまった悲しい鬼である私のことである。 

この心に仏の慈悲がと通ると、それに気が付き、おそろしくなり、はずかしくなり、鬼の角が一本折れるのである。

     このとき鬼の目にも罪悪深重の自覚の涙が流れるのである。この鬼のままでしか生きられないと気が付いたところに、そのままで救う、それでいいのだ、エゴイズムそれしか100%ないものを救うというアミダの声が初めて聞こえてくるのだ。その時、鬼の頭に仏の金色の角が一本加わるのだ。まるで孫悟空の金輪緊箍児(きんこじ)のように。そして、弧の自覚をもって鬼の心を持って立派な人間として生きてゆくことができるようになるのである。緊箍児とは親鸞風に言えば信心のことである。

 

226  人間は絶対変わらない世界は大嫌いなんじゃないか。だって仏の変わらない浄土極楽世界とか永遠の平和の世界である神の国になんか最初っから渋って、いやなことがあって初めて行きたいなんて思うようになるのだから。それらは人間にとっては絶対条件ではなくて、必要条件から変化したものなのだと思わざるをおないよ。あっちからすれば絶対なんでしょうけどね。迷惑な話だよね。実際、まったく。人間なんてなんてわがままなんじゃいな。

 

227  釈尊の誕生は誰にでも平等で普遍的に実現できる人間の理想像だ。それが、不合理な神話のように物語られるのは、人間の全真実を語っているからだ。

 

228  今日はゴミの日だ。雑草という草がないように、最初からゴミというものはない。おいしそう。きれい。食べるのは勿体ないという立派な料理でもウンコさんになったらゴミのように流されてしまう。

     あんなにみんなに褒められていたのに輝いていたのに。

 

229   わぁーきれい。おいしい。と言われていたのに後でウンコになったら。急に汚い、臭いと言われて流されてしまう。私はきれいなの、汚いの。

 

230  本

      やさしさ

      美しさ

      自然

      怒り、妬み、嫉み

みんな人間の食べ物だ。
これを食べて今の私になったのだ。

 

 

231   吾(われ)一人だけが貴いのではない、私が本当に平等に純粋に貴いなら我々一人一人が尊いのだ。人に生まれたことがまず尊いのだ。なぜなら人に生まれて人になれるから尊いのだ。それは仏の命に自覚的に目覚めることが出る存在だからだ。

人に生まれた時に人に備わっている仏の命の願いに目覚めることができる一回だけのチャンスが天から仏縁として賦与された尊い宝だからだ。

私にありながら私を超えて尊い仏の命の願いに目覚める目的を完成させるための人生なのだからだ。仏のもっている本当の勇気や愛や希望に生きるための私の人生なのだから本当に尊いのだ。

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