プロフィール

  • Home
  •   »  プロフィール
岩手県盛岡市つなぎの地に寺院を建立いたしました。門信徒さまは0、御名号の実りを旨に一歩一歩のご縁でございます。どうぞみなさま御育ていただけますよう折衷にお願い申し上げます。
会社名 光蓮寺 ビハーラハウス
所在地 岩手県盛岡市繋字塗沢29
連絡先 080-6057-4479
所属団体 浄土真宗

198

人には体の命と、もう一つは仏の命がある。仏の命は往生極楽と言い、後生安楽の一大事という。この仏の命が目覚めて初めて人は本当の人になることができる。

 

199

舌で味わい、耳で聞き、目で見て、鼻で嗅ぎ、肌で触れてやっと全身全霊で阿弥陀さんに救われるのである。

 

200

私はクモの巣に引っかかった一粒の朝露です。朝日が輝くとすぐに消えてしまう露です。私のほかに、露がいっぱい輝いているクモの糸に生まれることができ、一瞬でも輝くことができただけで幸せです。

 

201

私が救われ、阿弥陀が救われた証拠がナンマンダブツです。どちらも同時に助かってナンマンダブツ。私に勝ちを譲ってナンマンダブツ。ナンマンダ。

 

202

私の魂の歴史の裏側を歩んでくれたアミダ様だから、二人の出会いは私よりも、それに耐えてきた阿弥陀様の方がよっぽどうれしいのだろうと思う。

 

203

不思議なパワーをつけたり

苦しみを不思議な力で消し去ったり

特別な何かを見たり感じたりすることもなく

あるがままにつながっている世界に気付けば

ありのままの自分があたえられる

 

204

何かを足したり、引いたりしなければ生きていけない私。

 

205

仏様は空気のようだ。一番大切なのにいつも一番粗末にしている私。

 

206

いくら買っても当たらない宝くじ。いくら当たってもご飯が食えない阿弥陀様の摂取不捨の現世利益の矢には当たった私。ん・・微妙・・・?

 

207

釈尊が誕生した時、東西南北に七歩あゆみ「天上天下唯我独尊」と言った。

限られた時間と空間的に生きている全ての命あるものは、七歩目に釈尊が出会った普遍的で平等な仏の命の願いに目覚めることが大切だと、人間に生まれた課題を示した。その課題を解決した時、その一人の輝きは、遠くの命まで輝かせることができると言われたのだ。

 

208

ブッダの悟りとは、ご飯を食べてその固さや甘みやおいしさを味わうようなもので「いただきます」「ごちそうさまでしたと」と自分の人生に言える人間になることだと思う。

 

209

闇と光は友達だ。いつも一緒に歩いてる。闇は光を、光は闇を求めている間は闇のまま気づかずにいる。光と闇が一緒になってやっと一人前の人間だ。

 

210

百尺竿頭一歩を歩む。人間に生まれたことをまず喜ぶべし。後生の一大事。生死出ずべき身を持って生まれた。七歩を歩む。これらはみな人間に生まれた時から人間が人間になりたいと強烈に志願している根本的な共通課題だ。

この無明の闇を解決すれば「天上天下唯我独尊」の道が開かれるのだ。

 

211

この世には直接体験と間接経験がある。前者は食うネル遊ぶ。後者は精神世界。しかし、もう一つの純粋体験とでもいう直接経験がある。それは、純粋と言われる仏の方から自我意識に働きかけてくる経験だ。これを普遍的なやさしさ、慈悲と智慧という。

 

212

ブッダ「天上天下唯我独尊」は人間の独立宣言だ。真理と共に生きることが如何に楽しいことかという喜びの言葉だ。他に依存しないで、このままで他社と関係しあう、絶対的な独立存在として尊い人間になったという事だ。

独立は相手に依存したり、相手と比較したりする孤独ではなく独尊子ともいわれる如く縁起の法の真理を親とする子供でもあるのだ。

 

21
生と死は矛盾概念だ。表裏一体の関係だ。生は死があっての生だ。死は生があって成り立つ概念だ。二つは離れることがない仲のいい友達なのだ。光と闇のようなものだ。闇があって初めて光が生きる。光は闇のなかでなければその新川発揮しない。死もまた生が我が焼けば輝くほど死もその輝きを増すのだ。

生の先に死があるのでなく、このカラダも一見、生しか見えないようだが、細胞の死というように、その死があってこそこの生が成り立っているのだ。

この生は生と死が互いに変容しているだけなのだ。もともと一つの諸行無常の中のものとして存在していたものなのだ。

生死を分別する自我意識の苦悩を、もともと一つの概念を真実一如の中での生死であると縁起の法に目覚めて超えてこうとする人間への真理からの命題が「独尊」「生死出ずべき道」「後生の一大事」だったのである。

 

214
阿弥陀様と一緒に生活するほどの楽派この世にはあるまい。これを、この世の極く楽な生活という。ただし、地獄の苦悩も背負っているからホントの楽しみは、あの世で味わうしかあるまい。だけど、この世て、極く楽な精神生活を楽しんだらもうㇽあの世でこれ以上の極く楽な生活はいりゃしない。

 

215    白い糸と赤い糸

仏の糸は白い糸 だけどなかなか見つからない なければ無いで構わない、

だけど無ければ無いで人でない。

赤い糸は人の糸 あればあったで面倒だ、繋がればつながるほど面倒だ

面倒を超えたところに見えてくる白い糸

見えない糸はみんなの命とつながって、今日も生き生き輝いて いつまでも、いつまでも輝く命の象徴だ。闇の中の輝きだ。

白い糸はナンマンダ。ナンマンダブツの糸でつながって、生きるも死ぬもナンマンダブツの輝きだ。

いつまでも、どこまでも、あっちから私につながって、あっちの命の鼓動さえ、ここまで聞こえてくるようだ。ナンマンダブツナンマンダ。

 

216    なぜ仏陀はこの世に生まれたのか、その目的はその生誕にすべて表されている。人に生まれた本当の目的とその結果の世界を示されたのだ。それは、七歩目は人間の苦悩の全である六道を超えて悟りという無我意識の縁起の世界観を目的とし、そこに生きよと人間の進むべき道を示されたのである。

       そこには仏の命を共に生きることが苦悩の闇の中ででも可能な真実の人間として生きることができる人間の希望と勇気と愛の世界があるからである。

お問い合わせ